店主ブログ
日々の芽吹きの記録

週末のヒナタノオト:謙虚と希望

2020.02.28

灯し、照らす4人の仕事展は日曜日の16時までの開催です。
ヒナタノオトは予定通り開きます。

スタッフはお陰様で風邪気味の者はおらず、無理をせず、元気な者が出勤します。
店内、換気をまめに行い、アルコール消毒などもご用意しています。
洗面所のご利用もできますので、お申し付けください。

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謙虚と希望

9年前を思い出します。
2月22日に小舟町をオープンさせて、その17日後に震災に遭いました。
その日は定休日で、交通機関はストップしていたためにヒナタノオトの様子はわからず。
すべてが床に落ちて破損したかもしれないと想像ばかりがふくらみ、怖い想いをしました。

翌日、どうにか辿り着いて店の中を恐る恐る見れば、4点の破損のほかは無事で、あの揺れの中で、よくも姿を保ってくれていたものだと、天に向かって手を合わせました。

しかし、それからがタイヘン、でした。
計画停電や、何よりギャラリーで作品を見るとか、工藝品を買うとか、という空気ではありませんでしたから。
私が何より凹んだのは、いつもやりとりをしている作家の方々の気持ちが沈んでしまっていたこと。
手が止まってしまっていたこと。
自分の仕事なんて意味がないんじゃないかと、悩み始めてしまったことでした。

私にできるのは、とにかくヒナタノオトを開くことでした。
お客様は来ないかもしれない。
けれど、開けられるなら、開ける。
幸い、破損もほとんどなかったのだから、生かされたのだから。
「場」としてちゃんとここにあるよ!と示して発信する。

そうしたら、少しずつ、人がやってきてくれるようになりました。
お客様も、作り手も。
そして、あたたかいお茶を囲んで、しばしお話をする、作品を見ていただく、作品の話をする。
自分たちの作っているものは無意味じゃないと確認し合ったり。
ひととき心が豊かになるような、といっても無理にではなく、地に足の着いた食の話や家事の話をしてみたり・・・。

「ここは開いているよ」
いつも通りに開くこと、そのこと自体がメッセージであり、存在意義であると信じて開き続けました。
そんなときですから、ほとんど売り上げなどありません。
けれど、この場を開き続けてよかった。閉じなくてよかった。
今も思います。

こうして時は巡り、少しずつさまざまなことが回復して(もちろん未解決なことがありますが)、
ものづくりは廃ることなく、人の心はそれらを求め、作り手はそれに応えて仕事が熟して、今があります。

 

ものごとを考えるとき、

その根っこ(原因)

これから

の3つの場面を思い描きます。

なぜ、ウィルスがこのようなことになってしまったのか。
今、すべきことは何なのか。
そして、これからを想って、遠視的に考えてみます。

現代の矛盾や環境のこと、さまざまな問題。
ちっぽけな私一人では手に負えないことばかり浮かびますが、でも考えることを放棄せずに、こうなった原因について麻痺しないでいたいと思います。
それは、自然に対して謙虚であること。

今すべきこと。
まず、自身が健康であること。
食や運動に心を向けて、清潔なふるまいをすること。
自身に少しでも不安な要素があれば、ウイルスを広めないこと。
そして、冷静になること。

付和雷同、右へならえ。
中止にすることだけが配慮なのだろうか。
健康なひとが出歩くことさえ悪しきことのような風潮があったとしたら、それはほんとうにそうなのだろうか。

言わずもがなですが、見えないし、初めての現象なので、全体としてまとめるための声を否定しているばかりではありません。
有効なことも多いし、注意喚起になることもあります。
大きな規模なことであれば徹底しづらいので、危険回避は有効だと私も思います。
けれど、考えることを放棄して、右へ倣えで休んだり、中止したりをしてさえおけば配慮しているのだ。
としたら、それはまるで全体主義ではないだろうか。
そんなことも思います。

ヒナタノオトも、スタッフの体調不良があって、対応が難しいことになれば、お休みをいただきます。
けれど、現在のように元気なものが、開きたい気持ちを持って来られるのなら、開きます。

そして、未来。
作る人は手を止めず、企画をする私たちは、練って、準備を進め続けたいと思います。
ヒナタノオトの企画展も、伊勢丹展も、そのあとも。
希望を持って。

ちょっと、いきなり大袈裟ですけれど、この世に生まれて、今こうしていること。
この奇跡の集積のような自分の存在に希望を持ちたい。
そう思います。
生きて、今、ここにいる。
そのことの希望を失って、与えられた限りある時間を不安だけを抱えて過ごしたらもったいない。

謙虚と希望
ちょうどこの週末は、「灯し、照らす」という言葉を掲げた展示となりました。
この言葉の深く広やかな意味を心に問いながら、ヒナタノオトを開きたいと思います。