ヒナタノオト
作品展に寄せて

「猫に真珠」展出展作家有志の方から、猫にまつわるショートストーリーをご寄稿いただきました。

vol.3
香田佳人さんの「白い猫の鍵」

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小学生の頃、母に連れられて行く親戚の家が苦手だった。
猫がいるから、苦手だった。

*

母の実家は福島で、親戚もほとんどが東北にいた。
そんななか唯一同じ埼玉県内に住む叔父の家に、よく連れられて行った。

電車を3本乗り継いで駅からずっと歩いて着くその家には、叔父と、若い奥さんと小さな男の子と、そして真っ白な猫が暮らしていた。
潔癖症の母が動物を飼うことなどありえない話しで、そんな母に育てられた自分にとって猫はいつかふれてみたい憧れの存在だった。
小学校高学年にして初めて近くで見る猫が、その叔父の家にいる猫だった。

その白い猫は、家の中で嬢王様みたいだった。
優雅に高いところを渡り歩き、気に入ったご飯だけを食べ、ふれてみたくて近寄ってもスルリと逃げ、寝ているところにそっと近づくと気配を察知してそれもスルリと逃げ、白い身体は内側から発光しているみたいに本当に真っ白で綺麗だった。

そして自分は極度の猫アレルギーで、叔父の家に着いた途端くしゃみが止まらなくなって目が痒くなり、匂いを嗅ぎに来られて鼻先が肌にふれた時にはそこから皮膚が真っ赤に腫れ上がった。

その家に暮らす男の子はそれが面白かったようで、『ネコスタンプ!』とか言って無理やり鼻先を何度も肌につけられ、熱を出す時もあった。

このまま仲良くなれないのかな…。

近づいてはスルリと腕の間を抜けられ手の届かないタンスの上で寛ぐ白猫を見て、痒い目をこすりながら次第にそう思っていった。

「何度も匂いを嗅ぎにきてるから、きっと興味はあるのよ」と奥さんは言ってくれたけれど、泊まりに行く度に敗北感を味わい体調を崩し、だんだんその家が苦手になっていた。

*

クリスマスの夜を、その家で過ごす年があった。
お酒を飲み、その当時流行っていたハンディーのカラオケに興じる大人達の横で自分はだんだん具合が悪くなっていた。
そんな自分に誰も気づいてくれず、そしてその全てをやっぱり白い猫はタンスの上から眺めていた。

助けて、白猫。
心の中でそう思った。

「先に寝ていい?頭が痛くて」
叔父にそう言うと、二階に布団が敷いてあるから好きに寝なさいと言われた。

二階の部屋には布団が敷き詰められていて、暗くてとても寒かった。
一人で眠るのが怖くて引き戸を少しだけ開け、下から響く笑い声を聞きながら、寂しくて少し涙がでた。

目をぎゅっとつむって布団の中で小さくなっていたら、髪の毛に何かがふれた。
顔を上げると、そこには暗闇にぼうっと光る白い猫がいた。
鼻先をくいっとする仕草に毛布をめくると、白猫はそっと中に入ってきた。

一緒に寝てくれるのかな。

居場所をつくるようにぐるぐると歩きまわる姿はやっぱり嬢王様みたいだったけれど、腕の中で丸くなる頃にはもっと近くて優しい存在になっていた。

宴会が煩かったのかもしれない。
寒くて暖を取りにきただけかもしれない。
それでも白猫に声が届いたみたいでうれしかった。
ずっとふれてみたかった白い身体は上質な毛布みたいにやわらかく、一緒にいると安心した。
あたたかな白猫を抱いているうちに頭痛も消えて、いつしか深く眠っていた。

朝になるともう白猫はいつものタンスの上にいて、でもそれから少しづつ撫でさせてくれるようになった。
それを見て奥さんは「前からきっと、仲よくなりたかったのよ」と言った。
「怖がってたのが、きっと通じてたのね」とも言った。

なんだ、自分が素直になればよかったのか。
「いつ仲良くなったの?」とその家の男の子に聞かれたけれど、あのクリスマスの夜のことはふたりだけの秘密だった。

*

それから苦手だった叔父の家に行くのが楽しみになった。
仲良くなった白猫は長い尻尾も柔らかなお腹も触らせてくれて、話しかけると甘くかわいい声で、「にゃ~」と鳴いた。
耳の中は鼻と同じピンク色で、泊まりに行くといつも一緒に眠ってくれた。
変わらずにくしゃみは出たし服に猫の毛がつくのを母は嫌がったけれど、自分は片想いが実ったみたいでとてもうれしかった。

ほどなくして叔父達は県外に引っ越し、白猫とも会えなくなった。
叔父一家に会えないことより、白猫に会えなくなったことが自分はとても残念だった。

でも何だか、ずっと開かないと思っていた扉が開いたような気がしていた。
苦手なひとや苦手なことがあっても、自分が素直にすきな気持ちでいれば、いつか相手に伝わるのかなと思った。

*

そして今、2匹の猫と暮らしている。
1匹目を迎えた13年前の春から他に2匹を見送り、猫はすっかり自分にとってかけがえのない存在となった。

大人になって身体が強くなったこともあるのかもしれないけれど、猫アレルギーもいつの間にか消えていた。
柔らかな毛並みに顔を埋め、濡れた鼻先にふれても自分の身体はもう腫れたりしない。

愛は困難を越えるのです。
と、勝手に思っている。

寒い夜、うちの猫も布団の中に入ってきてくれる。
腕の中で丸くなる姿はいつ見てもかわいいけれど、あのクリスマスの夜には敵わない。

あの白い猫は、自分の世界の扉をひとつ開けてくれた鍵みたいだなと思っている。
もうとっくに虹の橋を渡ってしまったと思うけれど、またいつか会えたら、「ありがとう」とお礼を言いたい。