店主ブログ
日々の芽吹きの記録

快人二人

2021.04.25

『 作家で竹細工職人の稲垣尚友が書き留めた異色の戦争体験記である。
稲垣は師である民族学者宮本恒一をうらやましがらせた熟練の旅人だが、
語り手の半田正夫が「もうすこし早うに会(お)うとればよかったっち」
と悔やんだほどの聞き手でもある 』

これは、中国新聞に掲載された書評の冒頭ですが、尚友の新刊についてご紹介します。

まず、この本、明るい、です。
異色の戦争体験記、と評されたのもその通りで、悲惨極まりない状況を潜り抜けて生き抜いた人のストーリーなのですが、語り手、聞き手の双方の根にある明るさが、全編の底流にわたっているように感じます。
そして、その明るさは、生来のものを種火にしながら、経験の中で育まれ、鍛えられ、血肉化していったものなのでしょう。
そこから読み取るべきこと、、、
いや、べき、などというものはどこにもなくて、あるひとりの生きてきた瞬間瞬間を味付けすることなく、けれどしみじみ味わうことができるように、聞き書きという形で一冊にしたものです。

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「まあ、よくやるなぁ」

ひそかに、そう思っていました。
この本の語り手である半田正夫さんを訪ねて、年に一度か二度、トカラ列島へ赴き、話を聞き、録音して帰ってくる。
そのテープを、黙々と文字に起こす。
ひたすら地味な作業。
それが7年。
誰に頼まれたわけでもなく、出版のあてがあるわけでもない。
憑りつかれているかのような。
(といっても、バランスを崩すことなくマイペースなところがナオトモ流ですが)

食事どきの会話などで、尚友から半田さんの話はかなり聞きましたが、どの話もオチは笑いで、教訓めいたものや、悲惨なところには話が行かない。
これは、尚友の質によるところなのでしょうけれど、もっといえば、教訓や、悲惨話や、もちろんお笑いが書きたくて、こんなに没頭したわけではないのでしょう。
では、なぜに?

2014年、92歳で天寿を全うされた半田さんの棺には、本書の基となった手製の私家本を納め、そのおよそ6年ののち、縁と機が熟して一冊の本となりました。
石牟礼道子さんの書籍を多く出版する、福岡の弦書房より丁寧に出版いただいたことで、広く手に取っていただいているようです。

冒頭の中国新聞のほかに、北海道新聞、福岡西日本新聞では独自の書評を。
そして、共同通信社の上野敦さんによる「学芸‐多士才々」でご紹介いただいたことで、多くの県の新聞で書評の配信をいただいています。

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今、コロナ禍の中で、不安や心配など多くの雲を抱えて過ごしながら、さまざまな立ち向かい方が現れます。
どれが正解ということでもなく、それぞれが多様な感じ方の中、多様な心模様で日々を過ごし、明日に向かっています。

『戦場の漂流者』の中には、想像を超える極限状態の中にあっても、
生き残っていくちからがどこにあるのかを考えさせれくれる箇所がいくつもありました。
スーパーマンでもなく、やたら強靭なわけでもなく(といっても結果強いひとなのですけれど)、
現実を的確にみて、判断して、そこにユーモアというスパイスを絶やさない人が引き寄せる強運のようなもの。
1200分の1の強運とは、必然の引き寄せだったのかもしれません。

戦争体験記ではありますが、「ひなた」に向かう心を読める本だと思います。

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前山光則さんがあとがきに書かれた「快人二人」。
『二人に共通するのは、借り物ではない、自分の力で得た行動・思考である』
という、語り手と聞き手の質を捉えた文章で、読みごたえがありましたた。

(そのあとがき、私が読むと、我が家を訪ねてこられたときのこととか、なんだかなぁも(笑)
一番安いコーヒーをおいしい水で淹れているとか。(尚さんがいかにも言いそう)
一番安いコーヒー、私は買ってこないのですが(笑))

ともあれ、戦争体験記ではありますが、ひょうひょうと綴られた、味わい深い本としてご紹介いたします。
ヒナタノオト店頭、および、アマゾンはじめ、版元の弦書房にもございます。

この出版がらみでしばらく休載していた、当オウンドメディアへの連載ページに、本人からの文章もあずかっていますので、お読みいただけましたら。
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