店主ブログ
日々の芽吹きの記録

きれいごと

2020.01.31

1月も早31日、晦日です。

この日、というか今日ですね、工房からの風のミーティングを行います。
いつもは全出展者50名が決まってから4月に行うのですが、今年は一次選考で決まった人たちでまず行うことにしたのです。

今回、是非に出席を!
という感じではなく、来られる人が集まって、まずスタート切りましょう、
的な軽やかな呼びかけをしたのですが、なんと選考通過された26組のうち、21組23名が出席ということに。
北海道から沖縄から、2時間ほどのミーティングのためにわざわざ来てくださるという・・・。
ああ、なんだか、申し訳ないような、わるいような気さえしてしまいました。

で、今日です。
当日。
扉をあけてこられる方たちに、どんなミーティングにしようか。
と思い巡らせたとき、「原点」を交わし合うことにしよう。
そう想いが下りてきました。
(このタイミング、この機会では初めてなので)

回を重ねていくと、いろいろお伝えしたい、お教えしなければ・・・・とつい思いがちなのですが、
how to的なことなんて、今はどうでもいい。
まずはしっかり原点、足元を確認して、そのうえで秋の実り、もっといえば人生の実りを思い描こう。
そう、思ったのでした。

そのために「きれいごと」を大切に心に置こうと思います。

きれいごと??
「プロもしくは明確にプロを目指す人」を募っている会で、そんなのおかしくない?
いや、だからこその「きれいごと」です。

そもそもがさつでやんちゃで、かなりさばけているイナガキさん、何言ってるの?それこそきれいごとだよね、と言われそう。
(知らない人にはその反対に思われる傾向がありますが、よく知っている人はよく知っています(苦笑))
でも、そんな私がなんとかやってこられたのは、もしかしたら「きれいごと」をバカにしなかったからかも。
そんな風に思うのです。

きれいごとだけで事が進み、成されることがないなんて当たり前。
きれいごとは進めるため、成すためにあるんじゃないのかもしれません。
じゃあ、なんのために?
うーん、、、塵芥にまみれたり、現実の望まない圧力に押し流されそうになった時に、踏みとどまれたり、溺れたりしないための核のようなものなのでは。
何かをつくるひとにとって、何かが無意味なものでなくあり続けるには、初期動機や、初期感動につながる「きれいごと」がその核にきっとあるのだと思います。

と、出勤前にぶつぶつ書いていますので、なんだかまだるっこしい文章でごめんなさい。
出展作家と、風人さんたちとスタッフ合計50名ほどのミーティング。
ひとりひとりが持っているはずの「きれいごと」を花束のように集めて、今年の工房からの風に向かっていきたいと思います。