Editor's voice

稲垣 早苗

俳句の骨格

2023.04.08

昨年、アトリエ倭さんの展覧会で制作をお願いした額が手元にやってきた。
赤いブビンガのとんがりフォルムの額。
入れようと思っていたのは故梶山画伯の墨絵。
30年以上前に、初めて編んだ「掌」という小冊子にいただいた絵だ。

15歳から35歳くらいまでの間、私は俳句に打ち込んだ。
ほぼ独学のまま俳句修業のためにと23歳の時に金沢に移り住んだ。
工藝を紹介するという仕事には金沢で巡り合った。
1年半の後に実家に戻り、入社した会社で工芸ギャラリーを起こすことになり、それが今につながっている。

俳句はと言えば、25歳で初めて師の門をたたいた。
この人に学びたい!と希った俳人に手紙を書いて、主宰の句会に案内いただいた。
その人は、私のふた回り上なので、当時は49歳。
女性が男性と同等に働くことがとても困難だった時代に、博報堂で女性初の管理職に就き、温かな家庭を築きながら、季語を訪ねて縦横無尽に日本を歩く人だった。

俳句という表現・創造活動、仕事、家庭。
そのどれもを強く求めていた自分にとって、その人の存在そのものが大きな輝きだった。
師は52歳のときに結社を開かれ、私もそこに学んだ。
京都寂庵での句会をはじめ、さまざまな地での吟行にも参加をした。
特に「日本列島桜花巡礼」を続けて来られた師について、さまざまな地で桜と出会った。

偶々同じ市に住んでいたこともあり、句会の帰路の電車でご一緒するという幸福な時間にも恵まれた。
もちろん俳句のことも話題に上がったが、それ以上に私の仕事について多くの励ましをいただいた。
工藝、手しごとを愛することと、それを仕事として結実させることの大切さを会話の端々から受け取っていた。

つまづきのあったときには、伸びやかな文字の葉書をさりげなく送ってくださった。
どんなに励みになったことだろう。
今も時折見ては胸の奥が温もってくる。

俳句だけは手離さないように。

と書き、送ってくださった葉書を大事に掲げながら、私は俳句を手離した。
何か大きなことがあってやめたわけではなく、仕事と家庭のことで精一杯な日々に、デンマークへの熱が高まって、どうにも時間が俳句に向けられなくなったのだろう。
ひっそりと結社も退会し、句作はすっぱりとやめてしまって、歳時記を時折開くくらいになっていった。

それでもはっきりと言える。
私を作ってくれたもの、特に仕事の骨格を作ってくれたのは俳句であると。
「俳句は観察である」
「季語の現場へ」
「感動の焦点を正確に切り取る」
これらは、すべて仕事の中で心がけていることに通じている。
そして、それはこの師であったからこそ、血肉化できたのだろうと。

3月、東京は桜の蕾がうんと膨らんだ日。
84歳、講演会を見事に終えてから倒れられ、入院ののちに息を引き取られたという。
新聞、ネットニュースで広く報道された。

お会いしなくなって25年以上も経ってしまったけれど、想いがまとまらずに日が過ぎていきました。
そのような中、丹念に作られた額に、師の文章に寄せられた絵を飾ることができたのも、不思議な巡りあわせに思う。
俳句と共に短めのエッセイの名手であった師。
季語を巡る短文を読みつつ、いただいたたくさんの想いを偲ぶ。

大学で俳句と出会いながらも、就職、結婚を境に俳句を捨て、数年の後に巣に戻るかの如く俳句に還ったという師。
「俳句を捨てたと思っていたが、そうではなく、私は俳句に捨てられたのだ」
ということを折に触れて書いておられた。

私もそうなのかもしれない。
心にずっと沈んでいた想いだったけれど、あらためて思った。
ご自身に厳しく、他者にはあたたかであった師が、他者に対して呪いのような言葉を投げるようなことはしない。
そう信じられることに気づき、俳句を手離したことで得られたさまざまなことを、今は大切に抱きしめたいと思う。
この25年に重ねてきたことのひとつひとつがとても愛おしく尊い。
そして、それらの底には俳句(あるいは俳句で学んだ思考)があるのだから。

もはや師に直接俳句を学ぶことはできなくなったけれど、遺された句や文章を深く読みたいと思う。
そして、離れず学び続けた元句友たちを通して、師の俳句の心に触れて、学ぶことができるかもしれない。
師への感謝の想いは、訃報のあと日々ふくらんでいく。
そして、その感謝を伝えることはできないけれど、感謝の想いを自分のこれからの時間で実らせていきたい。


師の学びを受けたたくさんの方々がいらっしゃることを思うと、離れてしまった私が軽々しくお名前をキーボードで打ち出すことが憚れてしまいました。

師のもとで励んだ期間の俳句をまとめたいと思いました。
以下はほんのさわりですが。
そして今、私が俳句に還るときのようにも。

耳もとに幾山さきの初音かな

はなびらの幾たび地(つち)に還るとも

冴え返るふつと電話をかけぬ日々

湯に放つ桜を浴びてきし髪を

しばらくは瞳の闇に蛍飼ふ

紫陽花にこみあげてゆく水の色

短夜のひとりの扉浄めけり

湧き水に藤のこぼれてゆく迅さ

弦月のやうにましろき骨拾ふ

いちじくをむきゆくやうなわかれかな

亡きものの楽器を抱いて蟲しづか

木綿干すおんなであれば天高し

睡るためだけの夜の雪ふかぶかと

群鹿のまなこ濡らして悴める

投函の覚束なさも枇杷の花

海とほく水仙の香のきのふより


Writer

  • 稲垣 早苗
  • オウンドメディア「手しごとを結ぶ庭」を企画編集しています。
    「葉」のコンテンツは、「言の葉」の「葉」。
    工藝作家やアーティストの方で、私がぜひ文章を書いてほしいと願った方にご寄稿いただきました。

    わりとはっきりとテーマをお伝えした方、あまり決め込まずに自由にしてほしいとお伝えした方、、、いろいろですが、私なりに「編集」に取り組んでいきたいと思います。

    ひとつひとつの「葉」が茂り、重なっていったとき、どんな樹形が見られるでしょうか。
    今、答えを持っていないことが、ひとしおうれしく感じられます。

  • もっと読む

メルマガ登録