裏庭に咲いた話 2

大野 八生

ひと枝のローズマリー

2020.03.05

庭の仕事が、早めに終わったある日の夕方。
思いついて地下鉄に急いで乗り、階段を駆け上がり、ボスのいる事務所へ。
広く開いたバルコニーは、殺風景だけれど風通しよく、いつものように私を迎え入れてくれた。

「今日の庭の現場は、ローズマリーをたくさん剪定したので、おすそ分けに」
「ええねえ〜。ええ香りや、まだ絵の仕事だけではいかんのか?」
とボス。

「はい、でも、半分庭師、半分絵描きが私には、きっと合っていると思います」
「えらいこっちゃ、あともう少し絵の仕事があんたに渡せたら、庭の仕事せーへんでもええのになあ」
「でもまあ、それがあんたらしくて、ええんかなあ〜」
ボスに窓の近くに吊るしてもらったローズマリーは、風にゆらゆら揺れてとてもうれしそうでした。

庭のこと、植物のこと、絵のこと、これからのこと
久しぶりにボスとゆっくり話ができて、とてもうれしかったことを時々思い出す。
私がまだ、海のものでも、山のものでもなかった若い頃。
絵を見てくださり、いろいろな仕事をくださったボスは、私にとって育ての親のような存在。
時に厳しく、時にやさしく、どんな仕事をしていても、少し離れたところでいつも見守ってくれていた。

ある年の、あたたかな春の日の日曜日。
ボスの事務所からの留守番電話。
日曜日は、事務所が休みなのにおかしいな。

「休みなのにごめん、今日ボスが亡くなりました。 連絡して」

それは、知り合いのデザイナーからの伝言でした。
以前から体調がすぐれないのを知ってはいたものの、どうしたらよいのか。
ただただ、悲しくて悲しくて、心細くなり、心が空っぽに。

次の日も庭の現場。
仕事どころではなかったけれど、いつも通りの方が、私らしいと喪服を持って庭へ。
ひとつもまともなお礼も出来ずに、ちゃんとした感謝の言葉も伝えることが出来なかったな。
もっとたくさん、やりたいことや絵の話がしたかったな。
心の中は、後悔ばかり。

庭の手入れを終えて夕方、たくさん咲いた庭のローズマリーを小さな花束にした。
それはきれいな水色の花で、よい香りを放っていた。
急ぎ足で、ボスのところへ。
棺の中の足元の方に、たくさんの感謝の気持ちをローズマリーの花束にこめて。

『夏のクリスマスローズ』は、ボスの事務所で作って下さった本。
いつかあの話のつづきをどこかでできたらいいな。
ずっと思っていた。

いつか、は、今になりそうです。
ボスにこのことを話したいな。
天国につながる電話ってあったらいいな、庭のどこかにあるかも。
もう、どこにもいないということは、いつでも近くにいて見てくれているということ。

そういえば、ボスの棺に入れたローズマリー。
もともと、小さな小枝を挿し木したもの。
シーナさんにいただいた、おすそ分けのケーキに添えられた小さなひと枝。
そのローズマリーは、立派な大人の株になり、花をたくさん咲かせ、よい香りはたくさんの人に幸せを運んでいます。

「ええなあ〜、よかったやん!」
と、風の中からやわらかな声が聞こえるといいな。

ローズマリー
シソ科<常緑低木> 花期 早春〜春頃


Writer

  • 大野 八生
  • 大野八生(おおの やよい)
    千葉県生まれ。園芸の好きな祖父のもと、子どもの頃から園芸に親しむ。
    造園会社などの仕事を経てフリーに。
    現在、画家・造園家として活動。
    絵本に『にわのともだち』『じょうろさん』(偕成社)『盆栽えほん』
    『ハーブをたのしむ絵本』(あすなろ書房)、『みんなの園芸店』(福音館書店).

    ほかに、多数の装画の仕事と、日高敏隆氏の著書や、小学校国語教科書の表紙画(光村図書)などを手掛ける。
    庭師として、「ニッケ鎮守の杜」の手入れなどに携わる。

    +++

    植物と暮らしていると、時々、たからもののようなものをもらうことがあります。
    ささやかな小さな声を聞き逃さないように。
    小さなしあわせを綴っていけたらいいなと思います。
    どうぞお楽しみに。

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