連載
作り手による文章の世界
素のままに
長野 麻紀子Measurement Tool
2020.07.02わたしの好物はカツ丼である、
というとちょっと語弊がある気もするのだけれど、
今のいま、いっとう好きではないにしろ、かつて熱烈に愛した時期があった。
レスタースクエア駅の地下の階段を登り切って地上に上がり、
チャイナタウンへと向かう路地裏、
チャイナタウンの端っこにZIPANGUと看板を掲げた和食を供する店があった。
店といっても地上階に数テーブル、急峻な階段を下った薄暗い地下は、
おそらくかまくらを意識したのであろうけれど、
どう見ても熊の穴ぐら風な作りになっていて、
いくつかある穴ぐらのそれぞれにテーブルとベンチがしつらえてあった。
なにかあると、なにもなくても我々はよくそこに集って、カツ丼を食べた。
5.1ポンドだったかのそれは、当時の為替レートだと日本円で千円以上、
異国の地で切り詰めた生活を送る学生の身には、大ご馳走の一大イベントなのだった。
うやうやしく黒いプラスティック製の丼にどーんと盛られて
湯気をほかほか立てて登場する。
イギリスでは生卵を食べない。
衛生上の問題らしいが、文化的なものも多分にある気もする。
そもそも日本から海を渡ると、生卵を食する国は滅多にないのだ。
艶々の半熟卵の時はこれ大丈夫かしらとちょっと慄き、
しっかり煮えすぎて硬くてもがっかり、
ちょうどいい塩梅の卵でとじられた揚げたての大きなカツが出てきた日には、
うれしくてオンボロ椅子から飛び上がりそうになるくらい。
当時住んでいたイースト地区の最寄りのスーパー、セインズビューリーには、
チキンはやたらと豊富だったが、豚肉は優に1cmはありそうな極厚切りの、
肌いろの剛毛がちょぼちょぼ生え残ったやつくらいしか売っておらず、
かといってチャイナタウンまで地下鉄でやってきて
チャイニーズマーケットで薄切り肉を買って時間をかけて帰るのも、衛生上気が引けた。
肉じゃがが食べたくなったら、燻製なしのベーコンで代用した。
豚肉の薄切りなんて、そうそう手に入らないんだからしょうがない。
それにベーコン肉じゃがも、それはそれで結構おいしい。
そんなわけで、おいしい豚肉料理は外で食べるに限ると決めていた。
古いNokia製のやたら重たくて嵩張る病院の壁みたいな薄緑色の携帯に
KATSUDON DO? とテキストメッセージが届くと、
いつでも即座にOK、チャイナタウンに集合なのだった。
いわゆるガラケーのネット接続なし版とでも言ったらいいのか。
今では過去の遺物となっているが、スマホなどまだない時代で、
日本人同士で日本語でなにか知らせたい時には、暗号みたいにアルファベットで打ちあった。
メッセージは、時にはKATSUCURRY DO?になることもあったし、
YAMUCHA DO?になることもままあった。
チャイニーズマフィアが裏で経営してるらしい、夜になると凄いんだって、
と秘密めいて噂されるJADE GARDENという名の飲茶処は、
ハーカオの中身のエビの身がぷりっぷりに大きくて、
腸ファンのタレも甘みと醤油のバランスが良くて、我々のもうひとつのお気に入りだった。
飲茶屋は、ソーホーの劇場通りが目と鼻の先という立地もあり、
いつ訪れても客足が途絶えることなく、店の前には列ができていたが、
回転率を上げるべく、蒸篭や白い小皿で供される各品は、食べ終わるや否や、
ひったくるかのようにして無愛想な中国人のウェイターがさらっていき、
最後の一品を咀嚼して飲み込んだそのタイミングで支払いのビルの紙が
さあ出て行けとばかりに眼前に置かれる。
もう少しおいしい余韻を味わいたいとか、そういうものへの配慮など一切ない姿勢は、
呆れてしまうほどだったが、そこで件のチャイニーズマフィアの噂話が脳裏をかすめて、
いやもしかしたら、このお兄ちゃんだって、マフィアの下っ端なのかもしれない、
さっさと支払いを済ませて店を出た方が賢明だな、となるのだった。
あの頃、わたしの中ではカツ丼がいろんな物事を測る単位だった。
誘惑の魅惑のこれを我慢すれば1カツ丼、
来週は学期に一度の発表か、これは大変な頑張りをしなきゃいけない、
乗り越えられたら2カツ丼、と想像のカツ丼貯金をコツコツと貯めて、
来るべき呼び出しに備えた。
KATSUDON DO?
IKU IKU!
ひとはなにかを頼りにしなくては、生きていけないのかもしれない。
透きとおるほど孤独で、とてつもなく自由で、
明日をもわからぬ日々をロンドンに過ごすわたしが手にしたのは、
ちょっと脱力してしまうような、ふにゃっと笑ってしまうような杖だったけれど、
生来くいしんぼうの自分には身の丈にあった、ぴったりの測りだった。
ニンジンをぶらさげた馬のごとく、100万馬力で駆け抜けた。
自分がいったい何者なのか、何になれるのか、何かになれるのか、
悩み深き青春を過ごしたけれど、結局のところ、何者にもなれていない。
それでいいとおもっている。
わたしはわたしであればいい。最初からそうだし、それ以外ないのだ。
生まれて死ぬそのあいだに、どれだけやさしいきもちを贈ることができるのか。
生まれてきた意味を問うことを片時も忘れることはないのだろうけれど、
道すがら、足下に咲く名も知らぬ月のいろした花や
銀のつゆをたずさえたあさの大地の奏でる音楽に耳をすませる。
遠くに住まう誰かを想う。きょうの空を見上げる。わたしはわたしに根を下ろす。
いまでも踏ん張らなくてはならない時には、決まって
ほら、1カツ丼って囁く心の聲が耳の奥底で響く。
人生の通奏低音がカツ丼だなんて、まあそれもいいか。
帰国後、カツ丼を食べたら、
衣のサクサク感と出汁の旨さ、白米の艶々ふっくら加減に驚き、
そうかZIPANGUのカツ丼は、あれは不味かったんだな、と気づいた。
次にロンドンに立ち寄った際には、別な名前の甲板がかかっていて、
チャイニーズレストランになっていた。
もう一つのJADE GARDENも潰れてしばらく火鍋屋になっていたが、
いまはどうだか知らない。
Writer
- 長野 麻紀子
-
国際基督教大学教養学部理学科にて生物を学んだのち渡英。
ロンドン大学ゴールドスミスカレッジ ファインアート科卒。
Anima uni として、金属と石を中心に、肌にまとうちいさなアートとしてのジュエリーを手掛ける。
好物はエビ。 - もっと読む
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