兆しに立つ

クロヌマ タカトシ

共鳴

2020.08.13

白南風が梅雨の重たい雲を吹き飛ばして、突然に夏がやってきた。
はち切れそうな光を全身で受け止めている朝の窓を開けてやると
今度は生命の雄叫びのような蝉の声がどっと部屋になだれ込む。

ミンミンミン、カナカナカナ、ツクツクホシ、ジリジリジリ。
ミンミンミン、カナカナカナ、ツクツクホシ、ジリジリジリ。

あの小さな身体でよくこんなに大きな音を奏でられるものだ。
ぶるっぶるに振動しているお腹を想像して何だか僕のお腹もしびれてくる。
今日はラジオをつけずにしばらく彼らの音楽に耳を傾けよう。
椅子に座って窓の外を見ながら歯を磨く。
遠くで真っ白な雲がゆっくりと流れている。
足元の睡蓮鉢でメダカが悠々と泳いでいる。
駅に止まっていた小田急線が新宿に向かって動き出す。
庭の丸まったダンゴムシが起き上がって歩き出す。

ミンミンミン、カナカナカナ、ツクツクホシ、ジリジリジリ。
ミンミンミン、カナカナカナ、ツクツクホシ、ジリジリジリ。

盛夏の祝い唄は鳴り止まない。

僕の住む家から車で一時間ほど走ると西丹沢への登山口がある。
この日は平日で人気も少なく、よく晴れていた。
春からの自粛生活で家とアトリエを往復する日々が続いていて
何か外から偶発的にやってくるものが足りていないと感じていた。
常時であればそれは美術館に行ったり、見知らぬ土地を旅したりして
自然と栄養補給が出来ていたのだけれど、今は思い切ってそれができない。
遠くにある大きな憧れよりも足元の小さな輝きに目を向ける時なのかもしれない。
そう思って古くから身近に在って今まで軽視していたものを探した。
地元の山、丹沢山塊を登ってみることにした。

丹沢にはその名前の通り、多くの川と谷がある。
この日のコースも渓流沿いをジグザグに登っていくもので
常に隣を流れる水の音を身体に感じながら歩いていた。
その音は決して静かで優しいようなものではない。
何度も巨石に体当たりしながら急峻な斜面を一気に滑り下りていく。
その流れにさっきまで威勢を張っていた蝉たちの声は全て吸収されて
溶けて流されてしまうのだった。

澄んだ水が絶え間なく流れている姿は目にはとても綺麗に写る。
しかし同時にこの全身が振動するような轟音には畏怖を覚えた。
さらに上流へと歩を進めると、見上げるような大きな滝が現れた。
僕の身体は熱を帯びて火照っていた。
怠けた足腰でようやく登ってきたので、全身から汗が吹き出している。
ばくばくと心臓が脈打ち、沸騰しそうな血液が体内を走り回っている。
蒸気機関のような体を休めようと、しばらく滝の前で腰を落とす。

頭の中はとても静かだった。
目の前を轟々と流れ落ちる水と僕の内側を流れる水が共鳴している。
それは豊かな音楽だった。
誰かに聞かせてあげたいけれど方法が見つからない。
僕だけの音楽だ。
そう思っていたけれど、もしかしたら今朝の蝉たちはそれを知っていて
世界と自分との共鳴を毎日聞かせてくれているのかもしれない。

妄想にふけっている僕の隣で、同じく岩に腰掛けたスミナガシが
すました顔で蜜を吸っている。

家に帰り疲れた身体を休めた。
僕の身体の振動数は小さくなっていた。
椅子に深く腰掛け、窓の外を見た。
遠くの空で雲が流れ、睡蓮鉢のメダカが泳ぐ。

新しい音楽が鳴っている。
ごくごく僅かな揺れ幅で。

ーーー

登山ノート