兆しに立つ

クロヌマ タカトシ

素描

2020.12.03

子供の頃、絵を描くのが好きな少年だった。
最初に絵を描き始めたのはいつだったのだろう。
記憶を辿っていくと、はっきり覚えているのは幼稚園の頃だ。
おそらくどの幼稚園にもあるお絵かきの時間。
らくがき帳とクレヨン、色とりどりのサインペンが用意され
お好きにどうぞと自分の顔より大きな白い紙の前でペンを握りしめる。
お父さんの顔、お母さんの顔、ゾウやライオン、犬や猫。
大抵はそういったモチーフを描くのではないだろうか。
しかし、僕はそれらを描いた記憶がどこにもない。
では何を描いていたかと言うと、国旗だ。
なぜだろう。
理由は見当たらないし、今考えても不思議だが、確かに国旗だった。

描き方はまず、長方形のマスをいくつか先に描いておいて
その中に世界各国の旗をサインペンを使って再現していくというもの。
まずは一番簡単な日の丸を描く。
その隣は日の丸の白い部分を緑色にしたもの。
当時は国名までは把握していなかったが、これはバングラデシュの国旗だ。
続いてもまた日の丸の類似系。
夜空に浮かぶ満月を描いたパラオの国旗。
青をバックに黄色の円がやや左寄りに配されている。
さあ次はヨーロッパ大陸だ。
イタリア、フランス、ベルギー、アイルランドは縦に三等分。
オランダ、ドイツ、オーストリア、ブルガリアは横に三分割。
あとは色を塗り分ければ完成する。
このヨーロッパゾーンが一番楽しかったのを覚えている。
おそらく描きやすく、色も豊富で目にも楽しかったのだろう。

少年の筆は止まらない。
ヨーロッパ系をマスターすると応用技が使える。
アフリカ大陸への進出である。
ナイジェリア、カメルーン、セネガルは縦三等分の進化型。
エジプト、ガーナ、エチオピアは横三分割の進化型なので
真ん中に星マークや鷲の絵を加えてあげれば完成する。
今思えばこのカテゴライズ化し、パターン化していく作業がもしかしたら好きだったのかもしれない。
イギリスの旗をマスターすればオーストラリア、ニュージーランドへ。
十字で区切れば北欧系。赤に塗られた中国とソ連。
もう一段階レベルを上げて挑んだインド、ブラジル、アルゼンチン、カナダ。
星の数と縞模様の数を必死で数えたアメリカ合衆国。
そして最も頭を悩ませたのは長方形の枠に収まらない
ヒマラヤ山脈を横にしたような先の尖った国旗、ネパール。
なぜネパールだけ、なぜ。

不思議はいつまでも不思議のままに
僕の絵筆は世界旅行を続けた。
ちなみにこの三角形を2つくっつけたようなデザインは
2つの王家が手を結び国を統治した歴史に由来するものらしいのだが
坊やの空想の旅には今更必要のないことのようだ。

このようにして絵を描くことの原体験は
僕の記憶の中に刻まれている。

それから20年、30年が経ち、彫刻を生業として日々を送るようになった現在
絵筆は彫刻刀に持ち替えられ、白い紙は生気を帯びた木へと替わった。
僕は彫る前にデッサンなどはせず、直接木を彫っていくという作り方をしている。
そのためしばらく絵を描くことからは遠ざかっていた。
しかしある時、クロッキー会を主催している方に声を掛けてもらい
月に一度程度のペースで会に参加するようになった。
この体験がまた僕に絵を描く機会を与えてくれた。

クロッキーは短時間で対象を描かなければならない。
モデルさんがその時々で違ったポーズをとり、静止する。
それを3分、5分、10分などで描いていく。
日常の3分間というとカップ麺が出来上がる時間だが
クロッキーの3分間はもっと濃密だ。

リラックスした状態から瞬時に身体をひねりポーズが決まると
その場の空気が一変するのが分かる。
張り詰めた筋肉の緊張が周囲の空気を奮わせている。
頭から爪先まで見渡すと山を流れる清流のように美しいラインが見える。
息づいた身体が輝いている。
さあ、あとは見えたものをそのまま紙に写しとればいいのだが
これがまったく上手くいかないのだ。
木炭を持った手が思うように動いてくれない。
目で見て、脳内で把握した形、印象、質感、量感、その他の限りない真新しい感動は
手に伝わる前にどこかに消えていってしまう。
それをどうにか溢さないように丁寧に運ぼうとすれば、既知の線が現れるだけで
やはりあの感動は定着してくれない。
もともと持っていた既成概念が邪魔をしてくる。
どうしたらこの純粋経験をそのまま紙に写せるのだろうか。
とにかく画面に食らい付いて、一本の生きた線だけでも残せればと
必死になって考え、情報処理速度を最大まで上げて手を動かすのだが
そうしているうちに長いようで短い、短いようで長い3分間が終わっていく。
そしてまた次のポーズが現れ、白紙に戻った3分間が始まる。

このサイクルを二時間半続けると頭がふらふらになる。
けれどこの疲労感がスポーツの後のようにどこか心地良い。
ただし、毎回毎回、ああ今日もダメだったなと美術室を後にするのだけれど。

前回のクロッキー会が終わった後、友人と鴨居玲展を観に行った。
線が輝いていた。
純粋経験が画面に定着していた。
どうやったらこんな線が引けるのか。
熱を帯びた目で食い入るように見た。
いつか僕たちもこんな線を引いてみたい。
そんな会話をして友人と別れた。