素のままに

長野 麻紀子

夏をつける

2021.07.22

梅雨明け快晴。
家の南に面した掃き出し窓、いちめんを覆いつくすように伸びた
蔓性植物のカーテンがときおりの風にはためいて、
白い部屋のなかまでも、淡い黄緑いろにぼんやりと染める。
東京はあいかわらずの緊急事態宣言下で、
出掛けてはいけないわけではないのだけれども、
なかなかどこにも行く気にもなれず、篭って仕事ばかりしていたら、
なんだか気持ちまでしゅんとしょぼくれてきてしまった。
これはいけない、とあわてて食器棚の下段にずらり並んだ料理本文庫から
一冊を引っ張りだし、
ひんやりとした木の床にぺとんとねそべって、つらつら頁をめくる。
ぼんやりと写真を眺め、レシピをじっくり読みこむ。

別に、作らなくても、味わえなくてもいいのだ。
想像のなかで、どんなに妙なる味なのだろうかと涎を垂らし、
喉を鳴らし、咀嚼しているうち、
いつの間にやらじんわりげんきが湧いてきて、
うまく発酵したパンみたいに、気持ちがふくふくふっくらしてくる。
食いしんぼう万歳。

疲れ切ってしまったとき、落ち窪んだようなとき、
回復方法は人それぞれだけれども、
料理本を読むのは自分くらいかな、とおもっていたが、
ある時何の気なしにそんな話をしていたら、
20年来の旧友も全くもってそうであると知った。
類は友を呼ぶって、本当だったのだな。

これまで旅先で食した料理で
いちばん美味しかった一皿はなんだったろうか。
スウェーデンのゴットランド島、
首都ビスビーの中央広場に面した青空レストランで、
海の匂いを微かに孕む白い風に吹かれつつ、
燦々とふりそそぐ夏の陽光を浴びながらかぶりついた
ぷりぷりの燻製海老のアイオリソース添え。
あれは美味しかった。まろやかなアイオリソースが絶品だった。
頭上に青い夏がどこまでもひろがっていた。

ランチのあとに郵便局に絵葉書を投函しに行ったら、
流暢な日本語で話しかけられて仰天したっけ。日本に留学していたとか。
こんな小さな北欧の島で、
といっても、バルト海でいちばん大きな島だということだが、
日本語を華麗に操るスウェーデン人もいるのだと知って、
なんだかうれしくなってしまった。

ゴットランド島は、良質な羊の毛を産することで名の知れた島で、
首都ヴィスビーは「魔女の宅急便」の舞台になったと聞く。
古い石畳の両脇に、北欧人も昔は小さかったのかと疑問に思うほど
ずいぶんと可愛らしい大きさの扉のついた古い家々が並び、
街並みのいたるところで赤やクリームの蔓薔薇がポンポン咲き乱れて、
同行の室田教授は、小脇にピクルスの小瓶を常に抱えていた。

スウェーデンで夏の休暇を過ごしたのはいつのことだったか。
あの時は、研究だかなにかでストックホルムに逗留中の友人の父上、室田教授と、カナダからやってきたその娘H、パリから遊びにきたM、
ロンドンから飛んできたわたしと、珍妙なメンバーで
くすくす笑いの絶えない旅だった。

教授はピクルスが好物だった。
鞄などその辺に置き忘れてしまうのではないかと心配になる程、
いつもぼうっと紫煙を燻らせているか、
日時と場所とをお経のごとく呟きつつ、
なにがおもしろいのかさっぱりわからぬような場所でもなんでも、
選り好みということをせず、ただ延々と、淡々と、
過ぎゆく風景をビデオカメラにおさめていた教授だが、
ピクルスの小瓶は片時も離さない。

件のピクルスは、最初はスーパーで買ってくる。
小さな子供の頭くらいはありそうな、たっぷりサイズのとうめいな硝子瓶に、
色とりどりにいろんな野菜がぷわぷわ浸かった魅惑のピクルス。
なにはともあれピクルスの小瓶さえあれば、
旅先でも食いっぱぐれることはない、という信念の持ち主である教授は、
旅先でも毎ごはん時にぽりぽり食べて、
瓶の中身を食べ尽くすと、今度はその辺の八百屋やスーパーで、
きゅうり、トマト、その他新鮮な野菜を探し当てて、やおら瓶に投入する。
一日もすれば、また再びピクルスが楽しめるというわけ。
以下、その繰り返し。

ぐるぐるめぐるピクルスの旅。
どう考えたって、ピクルス液はだんだんと薄まっていくわけだけども、
教授のピクルスは、一体いつまで続いていたのだろうか。
少なくとも、島からストックホルムに帰還するときもまだ、
小脇に抱えていた気がする。

ストックホルムの家で、さして得意でも好きそうでもない料理に挑み、
手作りのスープで、娘とその友人たちに精一杯のもてなしをしてくれた教授。
めぐる季節のなかで、ふと浮上するなんでもないような記憶の断片は、
まばたきする間にひらひらと宙に泳ぎだし、彼方へと泳ぎ去ってしまう。

残り香を掴もうと、ひらかれた掌だけあっけなく残し。
それでも、この刹那を生きていくしかないのだと。
切なさを生きていくしかないのだと、わたしはいつ知ったのだろう。
今頃、天国でくしゃみをしているだろうか。
硝子の小瓶を抱えて。

夏の夕べは、なぜこんなにもうつくしいのだろう。
天高くうす紅に染まりはじめた空、
東の空の端にシュークリームのようなうす紫の綿雲がかかり、
きょうの終わりを告げる黄金のひかりが、ぽたぽたと地表に沁みわたる。
夏虫が、そこかしこでちいさく唄う草叢。
細胞までもがゆるゆるとほどけていくようだ。
次第に薄墨が混じりはじめた庭先で、
風船のような、星あかりのようなプチきゅうりが、
ぷわぷわと揺れている。

子供の頃は、あんなにも大嫌いだったのに。
白葡萄酒、酢、砂糖に青唐辛子、胡椒、丁子にカルダモン、夏の記憶。
そろそろまた、あの甘酸っぱいピクルスをつける季節がやってきた。