連載
作り手による文章の世界
読者からのメッセージ
手しごとを結ぶ庭読者からのメッセージ
2020.02.24さまざまな作り手が抱く文章の世界。
そのさまざまの「言の葉」を茂らせ、積み重ねたいと始めたこの場が「葉」です。
「葉」へは、読者の方からのメッセージ、感想をお待ちしています。
お寄せいただいたものには、ご許可を頂ければ一部、この場から皆様と共有したいと思います。
先日のにしむらあきこさんの「日々と青」にも、よかった!!という感想をメッセージや口頭でたくさんいただきました。
その中から、1通ご紹介させていただきます。
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「手しごとを結ぶ庭」
どのコンテンツも楽しみに読んでいます。
最新記事の、にしむらあきこさん『冬の日』。
ねだられれば、何度も歌う。
彼のアクションをとりこぼさないように。
何があっても歌うから、身に付けたその仕草を、どうか忘れないで。
祈りにも似た、詩のような、上記の文章に私も強く打たれましたが、読み始めてすぐ
「薄く窓を開けベランダに出してやると、隙間からわたしの呼吸がもれて高く登っていく。」
で、これは文学?という思いがすでに胸をかすめていました。
そう感じた所以はどこから来たのかと考えてみたら、自分の書きたいことに、ぎりぎりまで作者が向き合ってきたからではないかしら‥に行き当たりました。
私が思う「文学」は、精神的にも肉体的にも、何度も何度も自分自身に問う作業だから。
晴れの日も雨の日も、機嫌がよい日もそうでない日も、息子さんの手をとり歩き続けた作者だからこその、文章だと思いました。
愛おしいと思うものの手が離れた瞬間、誰もが、これは今生の別れなのではと(たとえ意識はしていなくても)ぽっかり空いた不安という名の穴に落ちていくのだと思います。
だから手を振り続けることで、その背中を見つめることで、去って行く乗り物を目で追うことで、穴から這いだしてくる時間を作るのです。
毎朝バスを見送るにしむらさんの頭上には、いつも晴れた空があるといいなあと思いました。
でも曇っていても傘を広げていても、にしむらさんの頭の中には、次々と晴れやかな構想が浮かんでいるのだから、天気はなんでもいいんだとも思うのでした。
水谷英与
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何があっても歌うから、身に付けたその仕草を、どうか忘れないで。
この文章には、にしむらさんがとも君と生きた10年の祈りが凝縮されているようですね。
原稿が届いたとき、目頭が熱くなってしまって困りました。
水谷さんの
『・・・自分の書きたいことに、ぎりぎりまで作者が向き合ってきたから…」
という考察には、にしむらさんが惜しみなくとも君と生き、惜しみなく文章と向かい合ったことへの、気づきと敬愛ががこめられているように感じました。
『毎朝バスを見送るにしむらさんの頭上には、いつも晴れた空があるといいなあと思いました。
でも曇っていても傘を広げていても、にしむらさんの頭の中には、次々と晴れやかな構想が浮かんでいるのだから、天気はなんでもいいんだとも思うのでした。』
工藝品を見たり使ったりすることと同じように、文章を読むことにも愛のある読み方があるのだと、水谷さんの感想を読みながら思ったのでした。
「葉」では、執筆作家の文章への感想をお待ちしています。
以前の原稿へも大歓迎ですので、ぜひお寄せください。
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