Editor's voice

稲垣 早苗

萎縮より感謝を

2024.01.10

能登半島地震により亡くなられた方々に謹んで哀悼の意を表しますとともに、
被災されたすべての皆様に心よりお見舞いを申しあげます。

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元日、初日の出を家族で拝み、その記事を個人のインスタグラムにあげたあと、地震のニュースが飛び込んできました。
日が過ぎるほどに被害の大きさを知ることとなり、言葉を、文章を綴れなくなってしまいました。

自然はなんて美しいのだろう。
日々、当たり前のように繰り返される美しい自然をもっと感じ、美しい時間を送りたい。

新年のまっさらな気持ちを整えた矢先に、

自然はなんて恐ろしいものだろう。
という現実を突きつけられたのでした。

友人、知人の無事を願い、確かめ、寄付をしたりをしても、それ以上なにもできないもどかしさ、無力感。
そのうち、SNSを駆け巡る、負の感情の渦にもぐったりしてしまったのでした。

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ぐるぐる、ぐるぐる考える一方、自らの仕事を全うしようと、歳旦祭への参列や、始まる展覧会の準備、ヒナタノオト、ソラノノオトの整え・・・。
どの仕事もありがたいことに、人の幸せにかかわるものばかりです。
でも、その幸せにどこか申し訳ないような気持ちが伴ってしまったのも正直な気持ちでした。

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自然はなんて美しいのだろう。

自然はなんて恐ろしいものだろう。

その表裏一体のことは、今に始まったことではないのですね。
地球が誕生してからずっとそうだった。
その現実の中を生き抜いてきた先に、今の自分もいるのだとじんわり気づいていったのでした。

能登で困難な中にいらっしゃる方々を思うとたまりませんが、それは他人事ではなくて、常に自分の身にも起こりうること。
美しさと怖さを併せ持つ地球(この世)にある限り、巡り合ってしまう可能性がある。
巡ってきてしまったとき、自分の心がどうであるのか。
物理的な道具揃えだけではなく、むしろ、心の持ちようについて考える日々でした。

美しさと恐ろしさ。
その美しい場面にあるとき、申し訳ない気持ちでいるのは、何か違うような気がしました。
申し訳ないという縮こまった気持ではなく、ありがたいというふくよかな気持ちでいよう。

萎縮より感謝。
ようやく、そこにたどり着いたのでした。

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そして、人の心。
人も自然の一部だとしたら、美しくもあり、恐ろしくもあるんですね。
自分の中もそう。

だからこそ、美しい部分を磨いて、伸ばしたい。
恐ろしい部分を増長させたくはない。
ひとの発するものでも、恐ろしい、醜い、妬みや嫉みを太らすような言動は、周囲、そして自分を汚してしまうのだと。

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新年、恒例の佐々木ひとみさんの個展での幕開け。
愛らしいひとみさんの姿、存在、言動に優しさがあふれて、それに触れた方々の表情も穏やかに優しい笑顔に満ちていくのでした。
そんな時間を過ごしながら、この時間、この機会をありがたい、と思いました。
申し訳ない、のではなく。

自然はなんて美しいのだろう。
元日に出会った光景が、今は一層奥行きを持って美しく心に映ります。
美しいだけではない自然。
だからこそ、美しい場面と出会ったら、深く感謝をして心を浄めたいと思うのでした。

ようやく、新年のご挨拶をのべさせていただくことができました。
ひとの美しいものとかかわり、ひとの美しいこころに結ばれていく営みを、今年は一層心がけたいと思います。
感謝の気持ちをもって。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


Writer

  • 稲垣 早苗
  • オウンドメディア「手しごとを結ぶ庭」を企画編集しています。
    「葉」のコンテンツは、「言の葉」の「葉」。
    工藝作家やアーティストの方で、私がぜひ文章を書いてほしいと願った方にご寄稿いただきました。

    わりとはっきりとテーマをお伝えした方、あまり決め込まずに自由にしてほしいとお伝えした方、、、いろいろですが、私なりに「編集」に取り組んでいきたいと思います。

    ひとつひとつの「葉」が茂り、重なっていったとき、どんな樹形が見られるでしょうか。
    今、答えを持っていないことが、ひとしおうれしく感じられます。

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