みちくさドライブ

松塚 裕子

川をゆく

2021.09.02

暗闇のなかでぼんやりと目をあける。
体を布団に投げ出して、目を凝らしていると、じわじわと天井の模様が浮かび上がってくる。
隣でぶつぶつとおしゃべりをしていた子どもの声がぽつりぽつりと途切れて、やがて寝息が聞こえてきた。

今日あった出来事、明日のこと、一日の端々で感じたあれこれをなんとなく頭の中でなぞりながら思考を宙に泳がせる。
自分のわずかな呼吸音と子どもの寝息が、静かなリズムを刻んで部屋に響く。
夏の湿気を溶かし込んだ暗闇に、昼間太陽にじりじりと焼かれた肌を浸して丸太の様に寝転ぶこの姿を、空から見たらどんなだろう。
暗い水の上にぽっかりと浮かぶ二艘の舟が見えるような気がした。

前にも似たようなことを思ったことがあった。
はちきれそうな臨月のおなかを抱えていた夏、体が重たくてなかなか眠れない夜にやっぱり天井を見上げてこれからのことを考えたりした。
波のように時折やってくる胎動と、浅い眠りの間を行ったり来たりしながら、まるで自分が夜のなかをゆらゆらと漕いでゆく舟になったように感じた。
まだ見ぬ誰かを乗せた舟。

あの時も、そして生まれてからつい最近までぺたりとくっついて過ごした時期も、私の舟に子を乗せている、という感覚だったけれど、今たしかに舟は二艘になった。
いつからだろう、漠然とそんなことを感じながら眠りのなかへと落ちていった。

春から子どもが幼稚園に通い始めた。
ようやく預けられるところができたことに気が緩んだのか、久しぶりに体調を崩した。
自分ではそんなつもりはなかったけれど、ずいぶんと気を張って過ごしていたのかもしれない。
制作をしていても、ただ作ることのみに専念できる時間が久しぶりすぎて、かえってそわそわと落ち着かない。
四六時中ガムテープのようにひっついていた存在がいないという身軽さと心許なさで、身の置き所が定まらず、いまいち集中できない日々が続いていた。

新しい生活が始まってしばらくたった頃、園から帰る自転車の後ろから、私の知らない歌が聞こえてくるようになった。
そのときふと、私の舟からおりて小舟を漕ぎ出した子の姿がはっきりと見えたような気がした。
彼女はもう自らの手で新しい窓を開けて、そこに自分だけの世界をうつしているのだ。
私だけがまだ留まっていたようだ。

そんな折、SNSを通じて友人と再会した。
近くに住んでいた彼女は、料理を生業としており、朗らかで聡明な人だった。
すっきりときれいに整頓された台所でしゃきしゃきと立ち働く姿を、時折傍らで見るのがとても好きだった。
季節ごとの旬の素材を軸に作られる料理はどれもしみじみと美味しく、作り手と同じく一本芯がとおったような潔さがあった。
ごちそうになるたびに、料理は作る人に似るのだと感じずにはいられなかった。

やがて彼女が人生の転機とともに居を移すことになったこと、その時期に自身の出産が重なったことなどで、自然と連絡が途絶え歳月が流れた。
台所に立つと時折彼女のことを思い出したり、人づてに様子を耳にすることはあったのだけど、なぜか自分から動いて連絡を取るまでには至らなかった。
心のどこかで、きっとその時期がきたらまた再会できるような気がしていたのかもしれない。
久しぶりにメールを通じてお互いの近況を話しながら、彼女も同じように思っていたと知った。
多くの慣れ親しんだものたちを、ある時すっと手放して、新しい場所へ飛び込んでいった彼女は、今をまぶしく生きていた。

別離や再会に触れるたび、とうとうと流れる大きな川を思う。
私たちは、みなそれぞれが一艘の舟なのだ。
同じ川を同じスピードでゆく舟と出会い、流れが変われば分かれてゆく。
長い時を経て思いがけなく合流することもあるし、永遠に別れてしまうこともある。
流れに逆らって進めば激しく水しぶきを浴び、そこに留まろうとすれば水は濁る。
近づいたり離れたりを、幾たびも繰り返しながら進んでいくのだろう。

今まで自分があまりやったことのないものを作りたい。
ふいに思い立ち、型を使った制作を始めた。
これまで、轆轤を挽いてその時々の心に沿う形を探すことに重きを置いて作っていたが、そういうものを一度全部とっぱらってもいいんじゃないかと思った。

学生時代に石膏の作業がとにかく苦手で、それ以来積極的に手を出してこなかったけれど、今ならできる気がする、と始めた作業は殊の外楽しかった。
思い通りにならないことも、うまく進まないことも、前ほどそんなに嫌ではない。
新しい世界の窓でも臆せずバンバン素手で開けて進もうとする子どもと、再会した友人の凛と生きる姿が重なって、もたもたしていた自分の手をぐい、と引っ張ってもらったような気がする。

自分ではどうにもできない大きな流れをゆかねばならぬこともあるし、留まってしまいたくなることもあるけれど、明るい方を目指して舵をきることは忘れずにいたい。
窓を大きくあけて新しい風をたっぷり通して。まだ見ぬ景色を楽しみに、今日も今日とて川をゆく。