素のままに

長野 麻紀子

星空ドロップ

2020.02.05

ちいさな頃は、さしすせそ、がうまく発音できなかった。
ある種の言語障害だったらしい。
もともととても無口で、森できのこを探したり、
かえるのたまごをぷりぷりつついたり、
アリの巣穴をじいっとみつめては、
土のしたに無限にひろがるアリの王国の冒険を想像して、
大きなわらばんしいっぱいにお絵描きしたりしているのが好きだった。

小学校に通うようになると、「先生」とうまく発語できないものだから、
同級生のお調子者の男の子なんぞが、そうじの時間になるときまって
「シェンシェイ シェンシェイ せんせいっていってみな!」
と揶揄った。
ちいさな胸が、ひゅうひゅうした。
べそをかくかわりに、竹ボウキをへりこぷたーのプロペラみたいにブンブン振り回して、
そんなやつらをけちらした。
校庭そうじの竹ボウキは宙を舞うばかり、
桜の樹のしたは、ちっともきれいにならなかった。

みんながとっくに帰った、がらんとした放課後の教室。
1年3組担任のみねぎし先生はにこにこしながら、
血色の良いふっくらとした手で、
抽斗の奥のほうから赤い丸いブリキの缶かんを取り出すと
ゆっくらとなにやら大事そうにつまみあげて、
ぽとりと、わたしのてのひらに置いた。
「内緒ですよ。」
氷砂糖のひとかけら。

 

 

とうめいな結晶は、口にほうりこむと、
秘密めいて夢みごこちに甘くて、
カラダがふわふわと透きとおってしまいそうだった。
なくなってしまうのが惜しくて、
舌のさきで大事に大事にころがしてはみたけれど、
だんだんだんだんうすくちいさくなってゆき、最後にカシャンと割れた。
シャクシャク噛んでのみこんだら、それでもうおしまい。

でもなくならない。
ひとかけらの氷砂糖の、うすら甘さと透きとおった記憶は、
細胞のどこかに染みこんで、いまもいつでも掬いあげることができる。
わたしの細胞のなかの、星のかけら。

のちに英語クラスに通いはじめてから、気づいた。
shの発音が、なんだか簡単にできるみたい。
さしすせそはうまく言えないけれど。

どこかで欠けていても、足りなかったとしても、
別のどこかでは、それがプラスになったりするのだから、
まあ、うまいことできているものなのだな、と幼心に妙に納得して、
そうこうするうちに、
遠くの大きな大学病院に通わせられて、
さるのさっさっさとか、毎朝毎晩発音練習させられたりもしたのだけれど、
いつのまにか、「先生」と言えるようになっていた。

 

 

氷砂糖の缶かんの中身をぜんぶぶちまけたような星が、
夜空に煌々と瞬く。
天空が、冬から春へと先を急ぐ渡り鳥のように駆けてゆく。

いま、眼に映る星あかりは、
何光年もかけて届いた光で、過去だという。
目にうつりこむ世界に、過去と現在と未来とが交錯しているふしぎ。
確かにみているようで、ほとんどなにもみえていないのかもしれない。

あやふやでふわふわと捉えどころのない時空間に
こんなにもくっきりと浮かびあがる星空。
手を伸ばしたら、ぽろんと零れおちてきそうだ。
わおーんと遠吠えひとつ。
宇宙にたゆたうようにして、生まれて、生きて、死ぬ。
それだけ。それだけなのに、こんなにもとうとく、むずかしく、やさしい。

だから、せいいっぱいいまを生きる。
ぐっすり眠って夜が明けたら、またとびおきてつくろう。
とうめいな星のかけらをあつめて。